昨日の
は、美術館好きの人で集まるオンラインを開催しました。
みなさんおススメの美術館や美術展のお話をいろいろ伺ったのですが、そのダークな(ダークじゃないけどww)楽しみ方もいろいろ聞かせていただき。
でも、こうやって自由に話をしていると何かしら新しい発見はあるもので、これがコミュニティの醍醐味。
自分とは違う習慣や価値観の人と話をすることの大切さやそこからうまれてくるアイデアについて、本文でも触れさせていただきますね。
本日は
5/9(木)21:00〜22:00 博物館好きの人で集まるオンライン
を開催します。
昨日と同じシリーズの博物館バージョンで、今日もみなさんのおススメ博物館や博物館の楽しみ方を自由にお話いただければ。
こうした同じ趣味や興味を持つ方とのトークは楽しいし、そこにいい出会いのきっかけがあったりもするので、ぜひご参加ください。
ぶっちゃけ博物館とかまったく興味ない人も、自分と違う楽しみを持っている人の話を聞くことで得られるものもたくさんありますので、ご都合大丈夫な方はお気軽にご参加ください!!
ナイスアイデアいただきました!!
これは有名ですが、国によってにわとりの鳴き声の表現方法が違う話をご存知かと思います。
日本ではコケコッコーと言うのに対して、
アメリカ:クック ドゥードゥル ドゥー
フランス:ココリコ
スペイン:クィ クィ リクィ
イギリス:トゥイートゥイートゥイー
中国:コーコーケー
韓国:コッキョ クウクウ コーコ
などなど。
ただ、もちろんのこと各国でニワトリの鳴き方が違うわけではありません。
どの国のニワトリも同じ声で同じように泣いているのに、それを聞く側の人間が違うということ。
これが違う理由は諸説あり、脳の構造の違いとか、母音と子音の重要性とか、まぁまぁいろいろありますがどれも明確な答えではないそうで。
ただ、
ひとつ間違いないのは、子供のころから「そういうもんだ」ということを教えられ、「そういうもんだ」という認識をしているから、それを疑っていないということ。
ニワトリの鳴き声はこういうもんだという風に子供のころから教えられ、出会う人みんなが「コケコッコー」と表現をしているわけだから、それを疑う必要もないし「そういうもんだ」という理解をしてそういう風に聞こえているということです。
これは研究データとして見つかっていないですが、日本で生まれた日本人の子供がアメリカで幼少期を過ごせば、ニワトリの鳴き声は「クック ドゥードゥル ドゥー」と聞こえるようになるし、そういうもんだと思うのでしょう。
何をお伝えしたいのかというと、
起きている事実はひとつでも、それを受け止める側の習慣や意識でその事実はいくらでも変わってしまうものであるということ。
ニワトリの鳴き声は世界共通同じ(なはず)なのですが、それを聞く人間の習慣や意識で声はまったく違ってしまうということなんです。
つまり、
あなたが信じているその事実は、どこかの誰かが言っていたことが強く印象に残っていたり、多くの人がそうだと思っているから事実だと思い込んでいたりすることであって、あなたが「そういうもんだ」と思っているだけのこと。
起きている出来事はひとつでも、それを受け止める人によって何が事実で何が正しいのかなんていくらでも変わっちゃうものなんですよ、という話なんです。
これを婚活の場に置いたときにみなさんが意識をしないといけないのは、
人によって物事の受け止め方や認識なんて違うんだから、その違う相手と同じ話をしたって噛み合うわけがない
というこの事実をどこまで理解しているかっていうこと。
ニワトリの鳴き声について、別の国の人と話をしたって噛み合うわけがなく、互いの主張をし合う以外にできることなんて一切ありません。
そのときに大事なのは、
「こいつは分かんないやつだ」と関係を悪化させるようになるか、「みんな違ってオモロイね」とそれはそれとして違いを楽しむかっていうことで、違いを感じるたびに関係を悪化させてしまうと誰とも深い関係になることはできませんよねっていうことなんです。
いくらあなたが「どう考えてもこうだ」と思うことがあって、あなたの目の前でその事実が起きていたとしても、それでも別の誰かにはまったく違う見え方をしてまったく違う意見を持ってしまうという、これは普通のことです。
何が正しいとかそういうことじゃなく、そういうもんなんです。
なので、
人と意見や価値観が違っても、「なるほどそう思うんだね」っていうそれだけのことで、それ以上の何かを追求なんて絶対にしないほうがいい。
自分の意見を言うのは自由だけど、相手がその意見と違っても「なるほどそう思うんだね」っていうそれだけのことで、合ってる間違ってる、どっちが上でどっちが下、そんなのまーったく関係ねぇっていうことです。
ニワトリの声も人としての生き方もどっちも一緒で、正解なんてなくて自分がどう思うかということなんですよね。
とはいえ、
違いを感じたときってやっぱり多少はストレスになるし、相手から「こうでしょ?」とか言われちゃうと、「なるほどそう思うんだね」なんて悠長にできなくてイラっとしてしまうこともあるでしょう。
そのときにイラっとしないで違いを楽しめるようになる方法はただ一つで、いかに自分と違う価値観や習慣の人間といつも関わっているかということ。
「違い」をいつもいつも身近で感じて、「なるほどそう思うんだね」って言えるように自分の環境を広げておくことで、違いをストレスなく受け止めることができるようになります。
違いがある人と関わることをしなかったり、もっと言えばそもそも人との関りが少なかったりする人は、まったく違う価値観や習慣を持ち込まれたときにそれに前向きに対応できなくて、「ちーがーうーだーろー」って言いたくなっちゃって。
でも、
いつもいつも違う価値観や習慣の人と関わることをしておけば、「そりゃまぁ違うわな」というのが肌感覚で対応できるようになり、いざ婚活で出会った相手がまったく違うものを持ち込んできても、お互いの考えを柔軟に受け止めあったりそこからいい関係に繋がたりできるようになります。
これが一般用語でいうところの、器の大きさであったり、視野の広さであったりということで、そういうのに長けている人はやっぱりモテるんですよね。
いつも自分の世界観だけで生きていて、自分と違う価値観や習慣の人と関わっていない人が、いきなりお見合いなんつって初対面の異性と向き合って、そこからどんどん関係深めるって、途中で「違い」を必ず感じることがあるんだから、そりゃなかなかいい関係にはならないでしょう。
独身専用会員制コミュニティ「シンパティ」の効果ってそこもあって、シンパティは毎日必ずイベントは開催していて、そこにはいろいろな人がいつもいるので、そこに参加をすることで自分とは違う価値観や習慣と関り合いまくることになるわけです。
時にはちょっとイラっとすることもあるけれど、それでも「違い」にいつもいつも触れていることで、肌感覚として対応できるようになり、その習慣を持って出会いをすることでいい関係はかなり築きやすくなるという、シンパティにはそんな効果があるんです。
かくいう僕も、まぁまぁ頭の固い52歳だったりするわけですが、シンパティで毎日いろいろな人と関わっていることで、ずいぶんと柔軟な部分も広げることができるようになった実感はあります。
これがもし、一人の時間が長いままここまで来たら、そりゃもうカチンコチンのメンドクサイおっさんが出来上がっていたことは容易に想像できるところです。(今もそれなりにメンドクサイおっさんですが)
何が正しいかとか押し付け合うのとかやめましょう。
すべてにおいて分かり合おうとするのなんて無理無理。
そこで置きている事柄はひとつでも、その受け止め方や理解の仕方は人によって違うんだから、人が自分と違う考えを持つことなんてあったりまえだし、事実が何かなんていうのも定かじゃないし、お互いが「なるほどそう思うんだね」で許容し合えばいいんだと思います。
いいんだと思いますっていうより、そういうもんなんでそう思いましょう。
奢ったほうがいい
料理は上手なほうがいい
年収は自分より高いほうがいい
投資はしたほうがいい
いつも笑顔でいたほうがいい
それホントにあなたの価値観として大事なことですか?
「普通は」とか「みんなが」とかじゃなくあなたの根拠はありますか?
そこに合わない相手と結婚したらダメになりますか?
それってただのあなたの思い込みだったりしませんか??
自分の考えとして相手に求めることはしっかり求め、それ以外のことは意図的に許容する。
婚活をするうえで大切な考え方です。
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