今年で50歳になる僕が、「ドンマイ」の語源が「Don’t mind」であったことを一昨日に知った衝撃。
どうやら30人中29人は知っていることだそうですが、のこりの1人が「えぇ!」と思ってくれれば幸いです。
ただ、
「Don’t mind」を和訳すると「気にしないでね」という意味じゃないということも重ねて知って、もう何を信じたらいいのか分からなくなっている、そんな夜です。
なぜ、マルじゃないものをバツだと思いたがるのでしょうか?
楽しくないことはつまらないことだと思いたがるし、
うまくいかないことはできないことだと思いたがるし、
好きじゃな人は嫌いな人だと思いたがるし・・・。
楽しくないことって、「楽しくない」っていうだけでつまらないわけでもなんでもないのに。
好きじゃない人って、「好きじゃない」っていうだけで嫌いになる必要なんてないのに。
すべてをマルだと思う必要なんてないし、そんな努力をする必要もないけれど、だからといってなんでそれをいちいちバツにしないと納得しないんだろう?
たぶん、
楽しくないことを楽しんでいる人がいたらくやしいから、「それはつまらないことなんだ」って自分に言い聞かせ、
好きじゃない人が人から好かれていたり、人とうまくやっていたらくやしいから、「あいつを好きじゃない」って自分に思い込ませているだけなのかな。
でも、
世の中マルなことの方が少ないんだから、そんなことしてたらバツばっかになっちゃうし。
バツに埋もれて生きているのなんて息苦しくて、息苦しいからそんなあなたがツラそうに見えてしまって。
もっと、
マルなことを喜んで、それ以外のことをいちいち気にしないでひょうひょうとしていた方が、あなた自身も楽チンだし、周りから見たあなたも魅力的に見えるはず。
これは間違っている、あれは気にいらねぇって、いちいちケンケンしていると、ケンケンしている空気感が染み付いてしまいますよ。
出会った相手がマルじゃなければ、「マルじゃない相手と出会った」というそれだけのことで、いちいち相手を悪者にする必要はないですから。
どうしても、誰かを悪者にしたいなら、マルじゃない相手を選んだ自分を悪者にでもしておけばいいのでは。
マルじゃないことは、「マルじゃない」っていうそれだけのこと。
そこから気づくことを楽しんだり、どうやったらマルを見つけられるのか研究したり、前を見て進んで行きませんか?
毎回毎回マルじゃない相手をバツだと思うのって、なんかすごく疲れちゃうし、すごくストレスになりますから。
漠然とした話ですみません。
もっとラクチンに出会いを楽しみましょうよ。
「あんたマルな姿見せなかったら許さないよ」みたいな顔して出会ったら、相手だって構えちゃうじゃん。
出会った相手がマルなことなんてマレですから、マルじゃないことにいちいちケンケンしないように。
出会いって、そういうもんですから。
ね。
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